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ファッションジャーナリストの増田海治郎さんが語る<br>「私的バブアー30年史」渋カジ、NAVI、バルボア女子

ファッションジャーナリストの増田海治郎さんが語る
「私的バブアー30年史」渋カジ、NAVI、バルボア女子

120年余の歴史を誇る「バブアー」ゆえ、その輝かしいエピソードは枚挙にいとまがない。しかし、近年になって我々が、バブアーをどのように手にし、どのように着こなしてきたかはほとんど語られてこなかった。そこで、『渋カジが、わたしを作った。』の著者としても知られる増田氏に、90年代から現在までの日本におけるバブアーの歩みを執筆していただいた。

渋カジ流行時に出会ったバブアー

マイ・ファースト・バブアーは、ワックスドコートではなくニットだった。高校3年生だった1990年の冬。恐らく原毛のままの色だった深みのあるブラウンの畔編みのローゲージニットで、肩にはスエードのパッチが付いていた。すごく暖かいけれど、着心地はゴワゴワでベトベト。でも、ストレートにお直ししたコーデュロイのリーバイス646と、ティンバーランドの3アイ クラシックに合わせると、全身アメリカの渋カジとは一味違う雰囲気になって、ちょっと誇らしかったりもした。購入したのはアトレ川越の地下にあったアウトドアショップで、やたら重々しい雰囲気のワックスドコートが一緒に並んでいたのを朧げながら覚えている。時は渋カジ全盛期。渋谷やアメ横にはキラ星のごときインポートショップが軒を連ねていたが、そうした店でバブアーを見かける機会は少なかった気がする。当時を知るスタイリストの大西陽一さんが「昔は主にアウトドアショップで扱われていた」と某サイトで証言しているので、きっとこの頃はアウトドアウェアのイメージが強かったのだろう。

自動車雑誌『NAVI』が流行の火付け役に

私がバブアーのワックスドコートをファッションとして意識するようになったのは、自動車評論家の故・徳大寺有恒さんと自動車雑誌『NAVI』の編集長だった鈴木正文さん(現GQ JAPAN編集長)の影響が大きい。御両人は90年代初頭からバブアーを着て誌面に頻繁に登場していて、2人の愛車だったデイムラー・ダブルシックスと、セージグリーンのバブアーの組み合わせに猛烈に憧れた。徳大寺さんは太っていて、鈴木さんは今と同じ髪型だったけれど、そんな一般的にはマイナス点(?)をむしろ武器にして、バブアーをまるで自分の肌のように自然に着こなしていた。なかでも、鈴木さんがNY出張にロング丈の“バーレー”を着て登場したタイアップ記事のカッコ良さは、今でも鮮烈に覚えている。もちろん『ビギン』や『モノ・マガジン』でも頻繁に紹介されていたから、その影響も大きかったはずだ。でも、個人的な思い入れを差し引いたとしても、バブアーが日本市場に定着するキッカケを作ったのは、『NAVI』と2人の巨匠だったと思う。

でも私は、違うブランドを選択した。生来の天邪鬼ゆえに、王道を選ぶことに躊躇いがあったのだ。購入したのは、知る人ぞ知るイギリスブランド「サイエンス」のワックスドコート。ビームス渋谷の2階にあったアウトレットでは1万円ほどで売っていて、ワックスドには珍しい黒に惹かれて即決した。匂いは強烈で手はベトベトするし、時には電車で嫌な顔をされることもあったけれど、着るだけでヨーロッパの文化と同化できるような気がして嬉しかった。冬場は30万円で買ったワインレッドのシトロエンBXのトランクに放り込んでおいて、雨が降ると傘代わりに着た。今考えると赤面ものだが、当時は本気でヨーロッパの貴族みたいになりたいと思っていた。

ミラネーゼの“バルボア”に憧れ、古着にハマる

それからしばらくして、社会人2年目の時に、ようやくバブアーのワックスドコートを手に入れた。横浜のユナイテッドアローズで購入した“トランスポートジャケット”だ。定番のビデイルより少し短めの着丈で、2ポケットのシンプルなデザインが新鮮だった。90年代後半はバブアーが幅広い世代に認知された時代で、とくに面白かったのが20代の若い女子にも広まったこと。雑誌『JJ』がミラノでバブアーが流行しているのを紹介したことで、女子大生やOLの間で静かなブームになったのだ。たしかイタリア語の読みで「ミラノの“バルボア”スタイル」みたいなタイトルだったと思う。バブアーにジーンズとスペルガの2750を合わせるスタイルが新鮮で、自分もジーンズをインコテックスかベルナール・ザンスのウールパンツに変えて真似していた。六本木のアークヒルズの坂で、ほぼ同じような格好の超美人な “バルボア女子”と目が合って、ドキッとしたことを今も覚えている。

それから古着の世界にどっぷりハマり、町田で発掘した黄タグの「ビデイル」とネイビーのロング丈の「バーレー」をはじめ、目ぼしいものを見つけるたびに買い求めた。で、開眼したのがワックスドジャケットの最適な洗濯方法(*)。ブラシと洗剤で丁寧にワックスと汚れを落として、ネットに入れて洗濯機で丸洗いする。そのまま乾かすと素材の縮みでジッパーが波打ってしまうので、最初に前たて部分にアイロンをかけて、伸ばしながら乾かす技を身につけた。そんなかんじで、20代の多くの時間をバブアーと一緒に過ごしてきた。でも人気が高まるにつれ、街ゆく人とのカブリが気になるようになってきた。とくにトリッカーズのカントリーブーツと合わせる典型的な着こなしに違和感を覚えるようになり、少しずつ距離を置くようになった。

*あくまでも増田氏個人の洗濯方法であり、バブアーとして推奨しているものではありません。

今冬は“ヒップホップなバブアー”に挑戦したい

それから15年の月日が経った。その間、多少の波はあるものの、バブアーは日本人の冬の定番アウターであり続けている。最近は春夏も魅力的な商品が揃っているから、年間を通してバブアーを楽しめるようになった。ヴィンテージの価値もうなぎ上りで、貴重なものには数十万円の値がつくことも珍しくなくなった。

自分はそうした流れとは距離を置いてきたわけだが、今年の冬は久しぶりに袖を通してみたいと思っている。5年前の冬のパリで出会った、ピガールのスタッフのスタイリングをふと思い出し、ニュアンスを真似してみたいと思ったのだ。黒人の長身の彼は“ビューフォート”に黒のフーディとパンツ、ナイキのスニーカーを合わせ、バブアーをヒップホップ寄りに着こなしていた。ここ数年のランウェイのストリート・ブームを間近で見てきて、以前は死んでも着たくなかったオールドスクール〜ミドルスクールのヒップホップ・ファッションに興味が湧き、少しずつスタイリングに取り入れてきた。それがようやく馴染んできた気がするので、満を持して“ヒップホップなバブアー”に挑戦してみたいのだ。

今所有しているのは、最初に買ったトランスポートジャケットのみ。これをクローゼットの奥から引っ張り出して着るのもいいし、今季のエンジニアド ガーメンツのコラボモデルや、2019年秋冬のビームスの別注モーターサイクルコートも気になる……。というわけで、コロナウイルスの問題が早く解消することを願いつつ、冬の到来が待ち遠しい日々を送っているYO!

(プロフィール)
1972年、埼玉県出身。大学卒業後、雑誌編集者、繊維業界紙記者を経て、フリーのファッションジャーナリストとして独立。メンズ、ウィメンズの両方が取材対象で、カバーするジャンルの幅広さは業界でも随一。自他ともに認めるファッションショー中毒で、年間の取材本数は約250本。著書に『渋カジが、わたしを作った。』(講談社)がある。

Text : Kaijiro Masuda Illustration : Naohiga Edit : Takuro Kawase

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